言葉って難しいはそう思う

下がるだけ下がれるだけ
下がってみてもいいかも

そうなればそうなるだけ
染みるものがあるとすると
どんどん幅を利かせられると
思うんです

 

ただ下がるだけだと
メンヘラみたいになっちゃうんだけど、

それが痛気持ちいいくらいに感じられる癖とそこから上がるツテを自分なりに知っとくとすごい得です

 

一度上がってしまうとそれ以上に上げようと体力使うし、維持するにも疲れる
だとすると、緩くニュートラル保っててたまに下がってまた戻ってくるくらいか丁度いいんじゃないかと思う

 

弱いでいい

まず人には嫌われないし
てか弱いっていうのは
もしかしたら
弱さを見せられるだけ
強いのかもしれないけど
そうは思ってないから
その辺でごちゃごちゃしないようにしてる
わかんなくなっても、とりあえず
弱いことにしてる

 

誇示するのは嫌いで
誇示されるのはもっと嫌い

 

だから
そもそもあんまり言葉って
要らないとも思ったりする

言葉って後付けでどうにも変更が可能だったり、そんだけのバッハァを含んでたりする

言葉って考えなくても
幾らでも出てくるけど
幾らでも出てくるからわけわかんなくて詮索やら過信だったり色々煩い

 

それとは反対に
振る舞いとか態度の引き出しって
人によりけると思う
言葉を理性とするなら
行動は本能だと思う

 

雰囲気っていうけど
雰囲気って言葉より
動きに依拠すると思う

 

雰囲気を出していきたい

 

斜めに見ていてほしい

日本のクラブとかって、

なんかすごい斜めにみられがちだけど、

まぁ実際それを変に肯定して私たち一味違う遊び知ってますみたいな人も多いのも事実だけども、なんかレイヤーが違うというか

 

自分もよく行くんだけど、

なんだがそういう人見てると途端に音が入ってこなかったりします

 

そもそもクラブみたいな箱って、

箱だからというか目的意識が違う人が中にいると目立つというか。なんか目に付いちゃうんだよね

 

まぁそんなこと気にしてても、こちらに矛先が向いてそれぞれ違っていいじゃんっていうのもそうなんだけど そもそもそんなこと言ってるあたり御門が違ったりするんだけどね

 

ただ海外の友達とか連れて行くと、彼らの感覚で行くと至極違和感じるのも事実らしくて

思えばバンクーバーとかトロントとかロスとかってそもそもメインストリートにクラブが何件も並んでて、それをハシゴしたりするのがメインストリームだったりするんだよね そうなると斜に構えた人とかが逆に目立ったりして、最悪セキュリティにつまみ出されたりするんだよね  

 

よく日本人つまみ出されてたなぁ

 

まぁ国民性で見ても大枠相性ってものがあるんですよ

 

いいものって伝播するけど、

だけどそういうわけにはいかない、

なにか障壁があるものが好きで

そこのもどかしさを他者に邪魔されず

埋めていきたいと思う

 

多くは求めてなくて

隙間を縫うような快感が欲しい

 

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飛ぶ前に、飛び方を、そうしてる間に、飛ぶことを忘れないように。

友人の友人の話。

 

その彼は、入社して2ヶ月足らずで、会社を辞めて、今はデンマークにいるとのこと

 

辞めた理由と聞けば、感覚的に違ったらしい

今はイーサリアムに興味を持ち、文脈はわからないけどデンマークのスタートアップの会社で働いてるとのこと

 

まるで文脈がわからない

 

最近は特に、
隙間を縫うような感覚みたいなのに惹かれてて、そゆマイナーのニッチをくすぐる快感みたいなのに傾倒してた

だけど、他にも、
ネジが外れてるというか、ネジを吹っ飛ばすみたいな感覚もあるんだなと

 

アウフヘーベンていう哲学用語をこないだたまたま知ったんだけど、それがすごい的を得ているなと

要は、両極端を知ることで一番高くに行けるということ。否定はしててもそれを取り入れつつ、来たるフェーズで汎用性として効かすみたいな

 

なんか合理性の理解はもちろんなんだけど、というよりは、そんだけの器というか、そのアンテナを張っていきたいと思った

 

ところで、

自分は自転車が大嫌いなんだけど、あの基本的に漕いでいないと止まってしまう微妙なストレスが嫌い。ずっと坂道ならいいんだけど、そういうわけにはいかないから、一貫して自転車には乗らない

同じように、今の過ごし方が、すごいストレスの積み重ねというか、まるで無理やり自転車に乗らされてるかのような感覚を覚え始めてる

でも、自転車って既に乗り方を覚えてしまってるから、意外と乗り始めると、あーだこーだいうこと自体がなくなるんですよね

だから乗るんだけど、

やっぱり乗らなくなると、乗りたくなくなる

 

まるで同じで、4月から始まったこの平日と休日を行き来する過ごし方自体が好きじゃなくて、乗ってるなぁと思ってる頃には停止場について一休みして、次にはもう乗りたくなくなって、でも帰らないとどうしようもないからまた乗るみたいな、あからさまに堂々を巡ってしまってる、この感じがほんとに気持ち悪い

 

だから、隙間を縫うように、そゆとこで快感を見出そうとしてるところだったんだけど、

どちらがいいとか言い始めると、まぁ言ってないんだけど、それはアウフヘーベンを逸脱してるみたいだから、これからそゆのはやめたいと思う

 

まぁ何が言いたいのかいうと、
何が言いたかったのかあんまりなかったけど、そゆ言葉になるものだったり、哲学だったりというのは、人間の本質を抽出したものだから、それを知っとくと納得に落ち着きます

 

あとは、
知ったからには、知っただけで着地してないで、もっと高いとこに飛ばないとなぁと

まぁ先を急がず、どうやったら高く飛べるか、その見定めが先になるけど

地に足はつけとくけど、浸からないようにしておこ

 

 

いちばんニガテナ事

好きだからみたいな

でもその後に

言葉にできないものが好きじゃない。

 

なんかそれだけだと
物足りなさというか罪悪感みたいなのを
勝手ながらに感じてしまう
そうゆう好意たるものには、
瞬発力はあって、

だけど説得力がないような気がして
なんかなんとも言えない狭間に
置かれてる感じは、

どうしたら拭えるんだろうか。

 

好きになるのは簡単で、

むしろなっちゃうもんで、

そんなことはもう仕方ないので

次に、見えてしまうのは、

どこに落ち度があるのか。

いや、そもそもそんなものは
おまけみたいなもんで
そこを超えられるか否か、なのか、

そんなんでダメになるようなら

端からやめたほうがいいのか。

いろいろでてくる。

 

どこか離れ方とか、出会い方とか、好きになり方とか、嫌いになり方とか、

そゆのに対して既視感があって、

その先に進めない。

同じ轍であって、興醒めしてしまう。

 

もっと人って奥深いんだろうけど、

そもそも掘る場所間違えても

それこそ御門違いだから

どこにそんな潜在性を見出したらいいのかわからない。

 

間違い無いことは、

そんなことをしてると、人は勘繰ります。

ただ、自分でもわからないので、

基本的に人は去っていきます。

なんか俯瞰してもの語ってるようで、

完全に落ち度は僕にありましたね。

 

もういっそのこと、

来てくれるのを待って

去る者にはちゃんと説明はして

納得は出来なくいいから

理解はしてほしいと思う。

 

理解できないなら、

そのままそっちの道進めばよくて

立ち往生されても

それこそ理解できない。

だらだらしてるみたいに

言われること事態

一歩通行で論点ずれてて

呼応するつもりなんてものは

端から一ミリも持ててない。

 

 

 

 

 

 

NY滞在日記 みつけた 2016/04/11

こんばんは ニューヨークJFK空港からです。ただいま22時を迎えようとしています。
思えば今頃飛行機の中で、バンクーバーへの帰路のはずでした。
気づいたのは、ボストンでの日帰り旅行の休息中の時。
その次の日の深夜ニューヨーク発でした。
どうあがいても、泣いても無理です。不可能です。
考えるだけで、風邪をこじらせてしまいそうです。

結果、思い出となるだろう問題が思った以上にあってしまったんで、ここに初日から振り返るとします。
初日の2245分ニューヨーク着、旅行のモチベとしての気持ちでその日くらい空港野宿してやろうと思った、迎えエリアになんとまあびっくらこいた、そこに彼女がいました。
思わず、ほんとに思わず笑ってしまったのを今でも覚えています。もともと行くことは話していたのでワンチャンだと思ったらほんとにいた。
ただ前日からの風邪気味が本格的に風邪に変わり、その日はただ彼女がいてくれただけで気がラクだった。その日は結果的にオールとなり、次の日は彼女が夕方から暇になるまで一人観光、のはずが夕方に完全に風邪にやられほぼギブ状態。なんて言ったってニューヨークの汚さ、人の態度と言ったらカナダ人、日本人と比べたら大違い。超絶不親切。
まあ彼女もその日の夜からカリブ海に出発ということで、さらなる気持ちで乗り越えようと試みた。一通り観光場所にも連れて行ってもらいいざバイバイかなと思ったところでまさか彼女のわがまま、空港まで付いてきてくれというお願い。聞くにはホステルから空港までは一時間半、結果空港を出たのは2330半くらい。体のことを心配する体力もなくなり、無心だった。よくよく考えたらよくよくなんて考えてられないくらいの過酷さだったけどなんとか乗り切った。優しさというかなんというか。自分を見失いそうになった。いざホステルにつくとそこは10人部屋の部屋で居心地の悪さといったら最悪。結果気を使ってしまい、シャワーをあびることができず、そのまま寝ることに。まだ終わらない。気づいたここに落下防止の柵がない。よって高所恐怖症の俺には安心して寝ることも許されていなかった。10人もいたら大抵一人はいる巨漢系おおいいびきやろう。まさにそいつのせいで、あと鼻がつまりすぎて寝ることなんて全く出来なかった。次の日のやつらの起きる早さいったらなんて言っても6時半からシャワーあびるやつがどこにいんだ。日本以外には普通にどこも存在した。よって起きることになり、そこでの自分の体調の悪さといったらバケモン級。もうだめだと思ったらほんとにその場で倒れてしまうほどだった。

二日目、あ、いや三日目か。とりあえず時間を無駄にするのが大嫌いな性格なので、なにかをしようと思って決まったのが、観光しながらショッピング、ニューヨークといえばショッピングだからね。彼女に行き場を教えてもらっていたので、そこをただたどるだけのシンプルな生活。ただいうの忘れてたけどこの度でwifiは使えないと知ったのは空港に着いた瞬間。カナダphoneはここでは使えない。よって頼れるのは全く使いもんにならない勘と人に聞くことだけ。ほんとにここまで書いただけでもよくっやてる。でも、こゆの望んでいた。だって経験が人を変えると思っているから。ただ、また同時に思うけど、人はよく自分は変わったとか言うけれど、俺はそんなの嘘だと思う。自分では自分が変わったなんてわかりっこないと思う。20何年も同じ人間でいるし、それ以外には理由はたくさん考えればでてくるだろうけど、人はそんな簡単に変われないと思う。自分がそうだから。人並み以上の経験をしてきた自信はあるけど、絶対に変われない。ただ変わろうとは日々している。まあ今回は長くなる前に話を戻したいと思う。とりあえずこの日は5番街、セントラルパーク、ニューヨークタイムスとさらに夜行観光バスと充実した一日を送れた。ホステルの狭さ、汚さはシャレにならなかったけど、ただシャワーが浴びれて寝れるだけでもう満足。次の日へ。

4日目
日の初めにやることはホテル探し。携帯パソコンが使えるのが唯一スタバだけなので、スタバビンを持ち歩いてスタバを転々とする作戦。なんていってもこいつら20人待ちとか当たり前。だから賢くここは生きる。トイレだけでも常に人がたくさん並んでる。街にトイレがないからみんなここにくる。ほんとにニューヨークといえど敷衍の多さといったらきりがない。そんなことを考えていたらなかなかホテルは見つからない。とはいえ時間も無駄にはしたくない。そんな葛藤のなかで、たまたま見つけたホテルの値段が27,000? みたいな。安いと思った瞬間にもう予約をしてる自分がいた。ちょうど予約が終わったときに気づいた。なんでsohoにこんな安いホテルがあるのか。なんとなく予約を確認をしたらそのホテルは桁が一個多く金額は一晩27000円。冗談じゃない。冗談でも泊まれない。キャンセル。絶対。でも携帯が使えない、英語での文面のやりとりには限界がある。とりあえずホテルにいって、その場でキャンセルしてもらおう。ホテルへ。なんとそこはグランドホテルで入り口のまえにはwelcome人が二人。あーあ。なかに入って早速理由説明。my walet has stolen by someone and in the meantime someone used my cresit card and booked this hotel. i have no choise but i have to cansell. みたいな感じで説明。こゆ時の説明しているときの外人の顔色がどんどん怒っていく感じになるのが一番海外にきて嫌いなこと。別に仲良くしたくもなければ、喧嘩ももちろんしたくない。でも喧嘩しているようになるのが、鉄板。話を聞くにはエージェントに頼めとのこと。こゆときってエージェント通してるからキャンセルもそこを通すなんて知らなかった。ほんとにだるい。まず電話借りる、でない、なんて言ってるかわかんない、やめる、メールする
、返ってくる気がしない、かえってこない、パソコンぶん殴る、途方にくれる。二人の受付の美人にはお世話になってしまったから頼れるのは黒人の優しそうな人がラスト。確かに優しくて、理由を説明したらなんか軽い感じで、そのまま電話までしてくれた。この人好きになりそうだった。だって黒人とほんとにbluntだと思ってから。もう思わない。なんとかキャンセル代も払わず終わったことを告げられ、ほんとに安心。ただ、その途端新しいホテルを探そうとしてもカードが使えない。頭の中で浮かんだ、キャンセル代、あの黒人。確認もできない、なんでってwifiが使えない。だからもうそれはなんかのシステムミス。お金の出入りのための停止としか願うしかなかった。それより先に宿を見つけないと萎えてるまえに死んでしまう。だからそこに切り替えた。でも当日の昼過ぎにもなると全然あいていないもん。全く見つからない。二つ見つけた。ただ、見た目以上に相当汚い、高い、無理、だったらまだ探してると前の日に泊まったホテルがあった。満席。あんな汚いのに満室。笑わせるな、と同時になんか親近感、信頼感が湧いた。妥協してちょっと割り高のホテルへ。ベットは割と広く、ダイブ。が、くそ硬い。あーもう。ニューヨーク。とりあえずこのままではほんとに時間の無駄でしかないと思い、タイムズスクエアへ。目的はなく、まず迷い、とりあえずのピザ屋へ。道を聞き、なんとかダウンタウンへ。タイムズスクエアに着くとショッピングをしたくなるもの。軽く歩いていたらエンパイアステイとビル、1時までやってる、よし、それまでショッピング。なぜだかテンションが上がってしまった。スケジュールが組み込まれるだけで気持ちが良かった。よってスケジュールが大切な気がした。買い物を済ませ、いざタワー。一人でいるの俺だけ。すんごく気まずい、いたい目。まあ結果夜景には圧倒されてそんなのはどうでも良かった。が、最後の下りのエスカレーターは俺だけで、bye bye sir と言われたのはすんごく悔しかった。ホテルへ。シャワーが前のホテルの倍きれいで、ようやく一休息。残り二日、この日の半日の無駄はもうできない、あとの日数どうするか。計画的に。スケジュールが人を楽しくさせる。さてと。彼女に相談。決まった。ボストンにいく。予約する。できない。母に相談。できた。2時47分。7時起き、。おけ。バスで寝よう。そのまえに次の日のホテルとらないと。嘘ねれないじゃん。あ、ここで延泊しよう、いやできない、満室だった。まじくたばれ。朝一まえの満室のホテルに行こう。次の日空いてた、はい、朝一予約しよう。寝る。

五日目といわずもう延長線上。体のだるさはオールで変にテンションあがるあれと違って、もう倒れそうだった。バスまで気持ち。バス。これは時間は無駄にならない。安心して寝れる。寝れない、電話し始める輩、、気持ちで寝る。外は大雨となり、もう晴れなくてよいから止んでくれ。降りたとき。フレンチ君は言った。jesus christ. 大雨やないかーい。とことこ改札に向かう。旅して思うこと、電車がほんとに難しい。全然分かる気がしない。駅員いねえし、終わった。間違えて一回買わされ、なんか一人ローカルの駅員ぽい駅員じゃない人がいた。聞いて買って、乗って、釣り忘れて、わざわざ走ってもってきてもらって、thank you so much いざ出発。電車がすごくわかりやすかった。まるでvancouver。ただ六つ目の駅。どんとこいや、ハーバード。雨もまあ、あがっていて、いざ、校内めぐり、広くてよくわかんなかった。そんで観光客多すぎ。なんとなくハーバード感じて、目当てはパーカー。家族用、これは逃せない、いざ、COOPへ。お目当ても見つかり、いい調子。次はどこだ、彼女のLINEを何度も見返して、BEACON STRREET BOSTON COMMONへ、それがまあすごく、抜群に自分とタイプと重なったと思った、僕のアナザースカイはボストン。また、来ると誓った。そのまま次の目的地、QUINCY MARJET へ、とことこ歩く、街が綺麗、でも迷う。ついた、ただのmarket や思いきや、人の量、んで人の感じの違い、環境が人を形成するのか、ニューヨークの人の感じとはまるで違って、心優しかった。道を聞いたときにわかんなくてもマップを使って教えてくれるところ、すごく嬉しい。全然道またわかんなくてそれが頼りにならないこともあるけど。触れられることに意味がある。お店もオシャレにまとまっててほんとに住める思った。最後の目的地。park street station からのbury street とpublic library.は閉まってたけど、別にok。写真撮ってショッピング。きれいな街並みにたくさんおしゃれなお店。すごく充実していた。あの休息するまでは。ここでようやく戻ってきた。なんとなく帰り便の確認。帰国日4月3日の0030。待てよ、今日は4月2日でもこれっていえば今日の夜じゃん。終わった。。。。。
一気にボストンさえきらいになりそうな勢いだった。無理なもんは無理。こゆのがあって一人旅、また経験が増えた。とまったくポジティブにはなれなかったけど、冷静でいられた。言い訳すれば、次の日のれる。便はあった。あとは言い訳だけ。とりあえずニューヨークに帰ろう。そう思った。最後のボストンの思い出としてBEST OF BOSTON と書いてあるスムージーを買いに。店員がほんとにボストンを象徴をするかのような優しい振る舞いをする店員だった。ENERGINER SMOOTHIE みたいなのを注文すると彼は、驚いたような笑顔で言った、SURE !!!!あの稀に見る人柄の良さにいろいろ考えさせられた。別に自分の生きたいように生きればいいと。なにも他の人の生き方に左右されているようではそんな人生つまんなくね。自分の生き方で勝負するときはする。いちいち影響されない。帰りのバス、まあここまでくるともうなにもミスすることないと思いきやの帰りのバスの日にちミス、これはありえないと思ったが、ありえた。3000円という代金はもう僕にとってはすごく大きなお金。考えてもなにも始ままらないので、購入することに。待合室の中国人の態度の悪さといったらたまったもんじゃない。IS THERE BUS TO GO TO NY tonight? 1030!!!! 1030!!!!!!!わかったよ馬鹿!!!!!!乗ることに。まあバス停が運良くホテルの近くでそれだけはすごくよかった。ホテル着いて、シャワー浴びて、あー今日も終わり。明日を祈ろう。就寝。

六日目
これは書いてる今日になります。チェックアウトぎりぎりの1037分。淡々と過ごして、最終日。すごい天気。が、超寒い。こんなの最終日にはきつい。一気に寒さが体を襲い体力も底にきていた。最終日に買うと決めていた、コンバースにたどり着いて、一足買うので精一杯で、最後にworld trade centre memorialを見て帰ろう。。が迷った。もう自分が小さくてほんとに一人じゃ大変だと思い知った。結果もう諦めて、空港に向かうことに。最後まで不安だったけれどなんとか空港にはついた。こっからが勝負だ。絶対に交渉してただでvancouver に帰るぞ。と、philipine air lineを探すが、全然見当たらない。受付は見つけたがスタッフが一人しかいない。聞いて一言、i don’t knorw んでお前そこに座ってんだよ、わからないなんてどこにそんな態度の悪い回答が存在すんだよ。やってらんねーニューヨーク。セキュリティいた、聞く is there philipine air line tonite ?? ahh !?!? tomorrow 終了のお知らせ。この旅は終わらないのかもしれない。と思った瞬間。もう限界もちかいと体が訴えていた。次の日まで待てるはずもないのに、そんなに焦る自分がいなかった。ふわふわしていた。気分はすごいどんより。もうそれはどんより。とりあえすwifiだけはなんとかしないとなにもはじまらない。どうにかしよう。ダメだ。外に出るしかない。でも、もうニューヨークの街に戻れるメンタル、体力はなかった。というよりほんとに戻りたくなかった。途方にくれ歩いて、日本人らしい人発見。とりあえずキープ。他にはいない。とりあえず聞いた。are you japanese ?? yes よしきた!! 事情説明。優しい方だった。いろいろ調べてくれた。これからコロンビアにいくらしい、留学をしていることをなんかいい感じに言ってくれた。それがほんとに優しいかたで次の日の朝の便で帰れる席があった。金額は4万してここまでけちってきた金がパーになった。金額でいえば普通の旅行。トロントに行くことを考えると高く感じる。あーーーもう仕方ない。ロサンゼルスに7時間も寄れるからよしにしよう。ひと楽チン。こうは言えないけど。ありがとうございました。あの人に会えてなかったら次の日のまた夜中まで帰れないとこだった。会えたことに一生の感謝。別れて日記を書くに、今日は人が多く、書いてる自分にも酔えるし、人がいることにすごく安心感が得られる。こう書いてる時間がいい意味に時間を潰せていて、すごくこのまま他のことを考えることなく、手を動かしていたい。じゃないとこれからのことに押しつぶされそう。と綴ってうちにまた意識が。なんて言ってももう今のことだから。118分。残り1時間半。さて、帰るぞ。

 

どっからでも変わると思う

なんでもそうだと思うけど、
創意工夫って何か事象を起こしたときに起こるものだと思った

 

例えば、この目の前のラックを考えてみる
これは僕が飽き性だからか

A型だからかわからないけど、

とりあえず型を崩してみたくなる

 

服の配置を変えたり、

お気に入りの本をかざしたり、

リードディフューザーを置いたりみたいな

 

なんか昨日のままだと

なんだか物足りなくてだから、

少し触ったり、動かしたり壊してみたりする

そうすると、これは微妙、これはありだなみたいに、基本的には元に戻らないことが多い

 

というのも、

変わらないことがすごい気持ち悪く感じるというか、どうせやるんだからとりあえず変わってくれないと困る

 

もしかしたら、

変えてみておかしくなるより、

変わらないことの方が気持ち悪く感じてしまうのかも

 

まぁなにを思ったかというと
変わることだったり、変えることって結構大きな枠組みで考えちゃうけど、

実はそれって楽しくないというか、結果動けなくて変わらないと思う

 

もっと身近に、その潜在的なエッセンスは転がってたりするんじゃないかな

 

なんでもよくて、型を変えてみること。

そうすると些細だけど、気分が新しくなって、思考も動き出す気がする

セレンディピティもあるかもしれないよね

 

いま、

時間も環境も着る服も制限かけられてるけど、

本当に気分悪いから、

とりあえず先ずはこの部屋を自分なりに

最大限カスタマイズしていきたいと思ってる。

ユーモアでミタシタイ

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店舗に憧れてる

とりあえず、

店舗運営には興味があって、
今日はどんぴしゃなカフェに出会いましたので、残しておきます。

二子玉川商店街に「Let It Be Coffee」あるがままに、自分たちらしいカフェ | futakoloco

 

実は、学生最後の半年いかないくらい古着屋でバイトしてたんですけど、

というのもその在り方を見ておきたったから。

その店の雰囲気を作るのって紛れもなくその店のオーナーで、

店員を通して、商品を通して、客を通して、

一気通貫したカルチャーにぞっこんしました。

 

社会人になって思うけど、

雇われてるうちは自分を表現する必要性って別になくてもいいし、

会社という規模で表現したとこで、アンチつくって気を遣って、

次は表現誇張しちゃっておかしくなって堂々巡りだよって思う。

 

ふつうにキモいと思う

 

だから、自分の限界値を意識しなくても決めてくれる

店舗運営たるものにはすごい興味があるし、

人は誰でも表現していたいと思うのが性だと思う

 

誰かに好かれたいとか、嫌われたくないとか、

どう思われたいとか、ステータスとか承認欲求の対象になるやつは、

ずっと気持ち悪いと思って生きてきたけど、

やっぱり社会人になって改めてキモいと思う

 

そゆのがモチベになってるあたり、

路線が一生合わないと思う始末多々

 

だからサブカルたるものに
すんごい羨望感があって

アピールしなくても、そこにいるだけで、

それが成り立つような、

そゆのがいい。

 

それが金にはならないとか、
じゃあロジック語ってとか、
そゆのじゃなくて、
その空間をいかにして
やっちゃうかだと思ってる

 

伝える手段であるなら、
伝えられる手段になるんだったらやってみたいそれだけ

 

いや、というより、

やる。

 

 

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