みんな違っていいはずなので、必然的にみんなと一緒に居るのは好きくないです
こないだの続きで
自分が誰かに合わせにいって
そこで合うか合わないかを判断するより、
自分は表向きで、既に表現されていて、そこに反応する人所謂そういう人に限って大事にすればいいんだと思う
どうも思うのは、自分は結局自分が一番大事だということ、同調するのが嫌いで、デフォルトは1人がいい
ていうくらいだから、自分からのアクションは極力しないで、それでも自分という人間が表出しているくらいにする必要がある
必要があるっていうのは、
やっぱり独りきりは寂しいので
自分みたいな人が好きな人とだけ
一緒にいたいと思うから
そゆ意味では人一倍
誰かと一緒に居たいのかもしれないけど、一緒にいて何かをして楽しいじゃなくて、その空間に一緒に居ることができて心地いいがいい
極論は何もしなくてもいいんだと思う
何かをする必要があるのは
それは言ってしまえば、繋ぎでしか無いと思うし、何かを一緒にするのは後付けくらいだと思ってる
んじゃ話を戻す
んじゃどうしたら何もしなくても自分を理解してもらえるか
それは、自分に自分を表現できる何かを持ち、場を持つこと
言葉は基本的に会話に使う道具でしかなく、何とでも替えも偽りを効くのでそれはめんどくさい
だから言葉いらずして、表現できるものが必要であるのはわかっていて、自分が場所を用意する必要がありますよということ
最近は、本格的にDJ活動というかDJにどっぷりハマってしまって、それも表現するものの1つにあてはまるのでこのままこれでいきたいと思う
一生部屋着でいい